今日は台風で雨が降っていて、ちょっと大変でしたね!
ライフで巨峰を買ってきて、さっそく食べてみました。美味しかったです。
2026年8月12日(水)雨時々晴れ時々雨 p190〜p220
我々は、みんな汚らしいところに住んでいるけれど、その中でも何人かは星を見上げている。
アイルランドに生まれたオスカーワイルドは文壇に華々しくデビューし時代の寵児になるも、当時の法律では犯罪であった同性愛の罪で獄中に係留されます。
美しい社交界から地獄の生活という人生の明と暗、嘘と実を体験したワイルドだからこそ表現できた言葉です。
仕事柄、僕のところにはよく編集者から本や雑誌の企画が持ち込まれます。
依頼された企画を全て引き受けるのはスケジュール的に無理なので、お断りさせていただくこともあります。
そのような中で企画書を読んだだけで、心が動き、その場で引き受けてしまった仕事がありました。
それが、涙の理由(宝島社)という本です。
その企画は、小説家の重松清さんと対談するというもので、最初からタイトルもテーマも決まっていました。
当時、重松清さんにはお会いしたこともありませんでしたし、テーマも涙です。
戸惑いがあったのは事実ですが、企画書を読んだ瞬間にこの仕事はやらなきゃ障害と即決しました。
その企画書はとても優れていて、書かれている言葉生きていて、魂が宿っていたのです。
何よりそこに書かれている言葉は、借り物の言葉ではありませんでした。
その編集者自身の生き方が凝縮されている本物の言葉だったのです。
言葉は生きていて、その生命力が強ければ、仕事が始まることもあるのだと実感した出来事でした。
話し言葉と書き言葉は寿命が違う
書き言葉と話し言葉の違いについて考えてみましょう
言葉としての重みは書き言葉でも、話し言葉でも僕は同じだと考えています。
違いを挙げるとすれば、言葉の伝わり方です・
イエス・キリスト、ソクラテス、孔子、釈迦・・・の共通点は、言葉を綴ったのではなく、語ったことが記録されていることです。
彼らの言葉を2000年以上もの時を経た現代の我々が知ることができるのは、言葉を書きとった人々がいたからです。
イエス・キリストの言葉は、弟子のルカやマタイ、ヨハネが書き記したことによって新約聖書という形で残り、ソクラテスの言葉は、弟子のプラトンやクノポンが書き残しました。孔子の言葉を記した論語は、本人の死後役280年たった後の世の人が編纂したものです・
なぜプラトンやキリスト、孔子は書き言葉ではなく、話し言葉で自らの考えを述べたのでしょうか。
それは単純に文字の読めない大衆に向けてメッセージを伝える必要があっということ以上に、話ことばの方がより政明に近いものだと彼らが考えていたからのように思います。
話し言葉は生命力に満ちているけれども、書き言葉はすぐに死んでしまうソクラテスとははどのように話し言葉の方が、書き言葉より上等であると考えていました。
昔は、紙がひじょうに貴重な資源でしたし、さらに古い時代に遡れば石などに刻まれた文字は、一般庶民が接するものではなく、文字が読める本の
一部の知識人階級か王族のためのものです。
そこに書いてある内容を人々に広める必要はありませんでした。一般大衆にとっては話し言葉の方が書き言葉より身近だったのです。
生命により近いということは、その言葉の持つパワーは強いけれども。生物と同じようにすぐにはかなく消えてしまうということでもあります。
キリストやソクテラスの同時代人が彼らの話を直接聞いた時に受けた感銘や衝撃は、僕たちにはわかりません。
偉人たちの言葉を聞いた同時代人は、打ち上げ花火がスパークするようなインパクとを感じたのではないでしょうか。
その偉人がいなくなれば、彼らの言葉の生命力もなくなってしまいます。僕たちがかろうじてできることは、書き残された言葉から、偉人たちの話す言葉の生命力を推察することです。
書き言葉は言葉としての結晶です。
話し言葉良いもうっと普遍的で永続的に残るものだけれど、その分、生命から離れていきます。
話し言葉がエロス(生の本能)だとすれば書き言葉はタナトス(死の本能)である、と言えるかもしれません。
そして、エロスもタナトスもどちらも人生には必要です。
例えば好きだという言葉も、文字にして書くのと口で直接いうのとでは、伝わり方は違います。
書いた言葉は後々まで残りますが、その瞬間の気持ちを生き生きと表現できるのは、明らかに語りの方でしょう。
大声で好きだというのと、冗談めかして好きだ〜というのと、真剣に心を込めて好きだというのと、その人の人柄からバックグラウンドまで含めて、ニュアンスは異なります。
それでも気持ちが伝わるのは生命力のある言葉が目の前でまじわされているからです。
話し言葉にはその場で消えてしまうからこそそのインパクトがあります。
言葉との題意はセレンディピティー
以前、高校生クイズのパソーなりてぃーを務めさせていただいた時、会場の白熱した熱気の中である発見をしました。
それは、言葉とは出合うものだといううこと。
高校生に出題されたクイズはひじょうに、難易度が高いものばかりですが、それらの課題に彼らは旺盛な知識欲で持って答えていました。
中にはその知識をどこで得たのかと聞かれて、勝手教科書の欄外の小ネタのようなところで目にしたことがあるとき、小耳に挟んだことがあるというような意表を突く答えが帰ってくることもありました。
言葉とは決して意識的に学ぶものではなく、偶然出合うものでもあります。
そう考得てみると。確かに以前たまたま人から教えてもらったり、テレビやラジオで聞き齧ったりした言葉が後になって役立つことは僕にも経験があります。
外国語には、日本にはない概念を表している素敵な言葉がたくさんあります。
日本語のもののあがれという概念を端的に訳せる外国語はありませんが、同様に日本語に訳せる外国語はありませんが、同様に日本語に直訳しただけではその精神が伝わってこない言葉があります。
僕がコスタリカで出会った言葉(スペイン語)にプラヴィーダ(pura vida)がありました、仮に英語に訳すとピュアライフ(pure life)となるでしょうか。
日本語にはなかなか端的に表す言葉が見つかりません。
それは、そもそもそのような概念を日本人が持っていないからです。
コスタリカは軍隊を持っていない国ですが、そのことをコスタリカの人はこう表現していました。
コスタリカの陸軍は軍隊ありで、海軍はウミガメ、空軍はハチドリである。
なんて素敵な表現なのでしょうか。単純にわが国には軍隊がありませんと言うよりも、多くの意志や意味が込められているように感じます。
コスタリカの人々にとって一番大切な人生哲学は(プラヴィーダ)であり、自然と共存して生きる人々の平和である。
この言葉に出会えたことで、僕の脳は確実に変化しました。
言葉との出合いはまさにセレンディピティーです。
言葉の5段活用で脳を鍛えるある言葉を発する時、脳の中では複雑な情報処理が行われています。
簡単な言葉を口にする場合でも、脳内に蓄えてある膨大な言語データから瞬時にして適切な言葉を選びとり、それを組み合わせて発しています。
その作業は僕らが思うよりもはるかに複雑です。
僕は宇宙飛行士になりたいと言う言葉ですら、極めて高度な情報しょりを脳が行った末に、ようやく口をついて出てくるものなのです。
ある言葉に出合ってからそれを自分のものとして行くには、それ相応の時間がかかります。
言葉を本当の意味で自分のものにしていくには、次の5つのステップを経る必要があるように思います。
①言葉を使いこなす
2 言葉を磨く
③ 言葉を発信する
④ 言葉と一体化する
⑤ 言葉で自分を語る
本を読んでいてある言葉に出合って、ああ、これだと思っているだけでは、なかなか自分の言葉になりません。
本を読んで知ってはいても、一度も自分では使ったことがない言葉は沢山あります。
夏目漱石の小説などは、時代が100年も前なので現代では使われなくなった表現も多いですが、その語彙の豊富さにはいつもうなされます。
全くもって、自分のボキャブラリーとは比較になりません。
言葉を多く使いこなせると言うことは、それだけ多くの鏡を自分の周りに置いていると言うことです。
使いこなす言葉が多ければ多いほど、自分をより良く映し出す鏡をたくさん持つことになります。
使いかなせなえれば言葉を知る意味はない
出合った言葉は、どのようにすれば使いこなせるのでしょうか。
僕の体験をもとに説明していきましょう
10年くらい前になるでしょうか、悪魔の代理人(DEVI L ’S advocate)と言う言葉に出合いました。
悪魔の代理人とはカトリックの教義で、ある聖人を列する時に、その人に不利な証拠を挙げて、本当にその人が聖人になれるだけの自分かどうかを、批判的なたちばから吟味するために用いた方法です。
悪魔の代理人を立てる目的は、その人をおとしめるためでhなく、列せられる聖人の質を高めることにあります。
あえて反対の立場をとることによって、聖人がそのような批判を乗り越えるほどの素晴らしい業績を遺したことを保証しようとします。
悪魔の代理人の思想は、日本の中にはあまりないものですが、ヨーロッパではとても大事なものとして残っています。
例えば研究者が学術雑誌に論文を発表する際に行われる研究者仲間による吟味や検証の制度も、悪魔の代理人の思想からきています。
僕は自分が指導している学生の論文をみるときは、悪魔の代理人となって論文を批判していきます。
これから俺は悪魔の代理人になってお前の論文を批判するけど、お前をおとしめようと思って批判するわけじゃなくて、お前の論文をより良いものにするためにあえて批判するんだよ
このように、悪魔の代理人という言葉を使用して、自分の立場を説明します。
僕の経験から言うと、自分のものになる言葉は血眼になって探すものではありません、
探すと言うよりは、本などで見た言葉が無意識に脳の中に蓄積され、そこにいろいろな経験が重なって、ある日閾値を超えて無意識の中から浮かび上がってくるのです。
悪魔の代理人という言葉は、大学院生の時には聞いたことがなかったので、その後生きていく中で僕自身がどこかから見つけ出してきたものです。
自分自身で発見した言葉というのは、誰かからの受け売りの言葉よりもずっと自分のものにできます。
なぜなら、発見できた喜びから、その言葉を使いたくなり、使う頻度が増えるから。
言葉とは、多く使えば使った分だけ自分のものになっていくものです。
言葉には使うタイミングがある
言葉には、その言葉を使うべき文脈があります。ここぞというベストのタイミングで使ってこそ、言葉が生きてきます。
脳内データに語彙としては蓄えられていても、一生使わない言葉もあります。
本で読んで知ってはいるし、人が使っているのも聞いたことはあるけれども、絶対に自分では使わない言葉や表現もあるのです。
以前、友人たちと酒を飲み語らっていた時のことです。
骨董好きの友人が持っている唐津焼のおちょこで飲む日本酒は
美味しく、僕はしばしばそのお猪口を使わせてもらっていました。
その日、いい気持ちでほろ酔い加減になってきた頃、不意にある言葉が口をついてでてきました。
この、おちょこ、だんだん俺の女になってきたな。
それまで一度も口にしたことのない表現でした。
その後も二度と使ったことはありません。
おそらく障害で一度しか使わないであろう表現がこの言葉です。
その時は、自分でも不思議な感覚でした。
すると、それを聞いた友人からはこんな釣れないコメントが戻ってきました。
いや、お前の女にはなっていなし
全ての食器の中で肌が合い、唇が合い・・・・という連想にふさわしいのは、おちょこしかありません。
同じ(唇が接する)といっても、ビールジョッキーを女性に例える人はいないでしょう。
シャンパングラスにしてみたところで、この連想は生まれません。
当然、お箸や、服なども、俺の女とはならない。日本酒だからこその色っぽさが生む発想であり、表現だからです。
言葉には、ピンポイントでその場かぎりでしか使わないものがあることを発見した瞬間でした。
ちなみに骨董好きの友人は白州信哉さんです。白州次郎さん、白州正子さん、小林秀雄さんのお孫さんです。
英単語を覚えた時も、その単語を使うべき文脈の中で使用したことで自分のものになっていった思いでがあります。
中学生のときチキ・チキ・バン・バンという映画をみたのですが、その中でスクランぷしゃす(scrumptious)という単語が出てきました。なんとなく気になってはいたものの、その単語を使う機会がありませんでした。
高校生になると、僕はホームステぃでカナダのバンクーバーに行く機会がありました。
今でも忘れませんが、ホストファミリーのお母さんがケーキを出してくれて、
HOW DO you like it?(美味しい?)と聞いてきたのです。
とっさに、YES.Scrumptious(とっても美味しいです)
と僕が答えると、So,youlike this cake(気に入ってくれたのね)と喜んでくれました。
その時の短い会話を通して、スクランプシャスという単語が自分のものになったという感触がありました。
言葉を自分のものにするためには、生きた文脈で使うのが一番です。生きた文脈で使うとは、その言葉が本来使われるべきシチュエーションでタイミングよく言う事。
早い話がtpo をわきまえるということです。
ただ繰り返し言ったり書いたりするのも悪くはないですが、やはり自分のものにするためには、生きた文脈で使うに限ります。
言葉はふるに五感を活用して表現するもの。
どの言葉を使うか、たったひと言の言葉の選び方。言い方にその人の感性が表れます。
言葉を磨くと人生は変わる
落語家や小説家は、言葉に対する感覚を一生かけて磨き続けなければならない職業です。落語家は寄席の時はもちろんのこと、日常せいかつに置いても、見聞きする言葉、自分が発する言葉に対する鋭い感性を持っているからこそ、素晴らしい話芸を披露することができます。
小説家も同じで、敏感な感覚に基づいて言葉の世界を紡ぐからこそ、読者に対して、その作品を読まなkったら缶汁ことができない質感(おクリア)を提示できます。
このように、言葉の芸術を生み出すために落語家も小説家も、日常せいかつで接する言葉や自分が発する言葉に対して注意を払い、修行を続け、言葉を磨いていますが。
言葉を磨いていく糧で脳の中ではどのようなことが起こっているのでしょうか。
他人が使った言葉を見聞きすることや、自分自身が言葉を使ったことによる体験を通して、あの時あの場所であんなことがあったという具体的なエピソードの記憶が脳の中に蓄えられます。
そのエピソードの記憶が編集され、意味記憶(=普遍的、一般的な形で意味がされることが)自然に出来上がっっています。
落語家の話芸が熟達していたり、小説家の文体のスタイルが確立されたりしているのは、その人たちの脳の中に蓄積された様々なエピソード、意味の記憶といった言葉の編集作業が休むことなく続いているからです。
落語家や小説家には、言葉を磨こういう意識があります。
言葉を使っているときはもちろん、使っていない時でも、脳の神経細胞の自発的な活動とそれに伴うシナプスの結び付けの変化が続いています。
そのような編集作業が繰り返されることで、名人と呼ばれる落語家や偉大な小説家が誕生します。
落語家や小説家のように言葉を扱う職業の人でなくても、言葉のセンスを磨くことで、人生は変わっていきます。
自分の子供が学校に行きたくないと言い出した時、なんで学校に行かないの。良いから早く生きなさいと叱るのではなく、学校に行きたくないの?
それなら今日は学校ではできない勉強をしましょうね。と語りかける。あるいは上司がどう考えても、無理な仕事をいらしてきとき、それは私の業務ではありません。と断るより、その仕事には大変興味があるのですが、今すぐにはできないので、この作業が終わり次第、迅速に取り掛かってみますと返事をすれば株が上がるかもしれません。
状況に応じてどのような言葉を発するかで、人間関係は変わっていきますし、言ったほうはもちろん、言われた方の人生も変わっていきます。
言葉のセンスを磨くことは、人生を変え、より豊に生きるために必要なことです。
言葉を発信する。
自分が発信する言葉が多ければ多いほど、それを読んだ人を感化させられるし、また自分をアピールすることにもなります。
結果として、自分を取り巻く世界が人が入ってっていきます。
僕は、ほぼ毎日、自分の考えや身の周りの出来事をブログなどに書いていますが、これも言葉を発信する作業です。
ベーシックインカムという考え方があります。
簡単に説明すると、働いているかいないかに関わらず、国民全員に例えば100万円を一律に支給するという考え方です。
この言葉を知った時、すごくおもしろし考え方だなと思って、英語のブログにベーシックインカムに賛成ですと書いたら、いつもよりアクセス数が上がったので、この文章を引用したいとかベーシックインカムは私の研究テーマで茂木さんが使ってくれて嬉しいという見ず知らずの人からのコメントもたくさんありました。
自分でもそんなに反応があるとは思わなかったので、予想外の出来事でした。このようにベーシックインカムという言葉をブログで発信することで、自分を取り巻く世界が変わっていきます。
インターネットの発展によって、誰でも日常生活のあらゆる場面で、言葉を書く機会が格段に増えました。
現代においては、書くスキルを磨くことは自分の夢を実現するパスポートになっています。
言葉を書くときは、Live and let live(自分も活き、人も活かせの精神で臨むべきです。生きた言葉には、人を動かす力があります。
神経を行き届かせたメールを書く
日常生活で書く場面が多いのは、多分メールでしょう。
メールで言葉を書くことは書くスキルを上げる訓練になります。
メールにはそれを読んでくれる相手が必ずいますから、書くことば全てに神経を行き届かせなければなりません。
誰にも見せない自分だけの日記だとその文章に対するリアクションがないので生きた言葉だったのかどうかの判断がつきにくいところがあります。
ブログは不特定多数の人を対象にして書くので、相手の顔が見えないぶん、言葉に神経を行き届かせることが、難しくなります。
メールが生きた言葉を磨くのに最適な理由はもう1つあります。
その時ぱっと掴んだ感覚をなるべく短い時間で表現する方が相手にも伝わりやすくなります。
メールは時間をかけて書くものでないので、生きた言葉を捕まえた瞬間に文書化していく訓練になります。
例えば会社においてメールに書かれた言葉によって、それこそ組織が動いていきます。
お疲れ様です。お世話になっております。よろしくお願いします。という決まりきったフレーズでも悪くはありません。
そこに、この間のレポートはすごく良かった。次回も期待しています。
今回の企画はうまく通らなくて残念だったけど、次回は嬉しい結果になると良いですね。
美味しい味噌ラーメンの店を見つけたので、今度一緒に行きましょうという言葉を添えるだけで、相手との距離もぐんと近くなります。
言葉を潤滑油にすることで、お互いの関係性が良くなっていきます。
短い文章の中にもピリッと気が利いていて、相手に深い感銘を与えるようなメールを書く。そうすると、あの時もらったメールは素晴らしかったなと思い返してもらえるでしょうし、書いた人はいつまでも好印象のイメージが残ります。あまり時間をかけずに生きた言葉でメールをやり取りできるように慣れば、その人はかなりの言葉の上級者と言えるでしょう。
書くスキルは現代人の必須科目
私には、特別な出来事や経験もありません。
ネタが思いつかないので、文章が書けないのですが、どうしたら書けるようになりますか?
たまにそういう質問を受けることがありますが、僕の答えは決まっています。
誰でも書くネタを持っています。
確かに表面に出ている部分だけを見ると、ボキャブラリーが少ないと自分で缶汁かもしれません。
ところが、脳には連想記憶があります。
言葉はネットワークとして脳の中に収納されているので、そこから関連する記憶を引っ張り出してくれば、自分の中にいくらでも書くねたは存在しているのです。
私が新聞や雑誌から原稿を書いてほしと頼まれたとします。
自分の関心のあるテーマならいいのですが、関心のないテーマや自分が深く考えてこなかったテーマで書いて欲しいと頼まれることもあります。
例えば年金問題、今までこのテーマで書いたことはありませんが、もし書くとしたら、次のような感じになるでしょう。
年金と関連して僕の興味のある問題には安全きちがあります。
年金問題とは安全基地の問題であると言えるので、そこから書き起こします。
続いて、年金問題は、いかに正確に記録を取るかということにつながっていくので、ITの導入、国民総背番号性の導入などを絡めて論じていきます。
さらに先ほど述べたベーシックインカムの問題とも結びつけることができるでしょう。
年金というのは、その人がそれまでいくら払ったかによって65歳を過ぎてから受け取る金額GA決まってくるシステムです。
そういう面倒くさいことを計算するから人手もコストもかかってしまうのですが、ベーシックインカムのように全員が一律DEいくらもらえるという制度にすれば、計算する必要もなくなり、社会保険庁の人員を削減することもできるでしょう。
そうすれば、その人件費の分もベーシックインカムの財源に回すことができ
ます。
メールやブログが素敵な言葉にできるように日頃から注意して送信するようにしたいと思います。
それと年金がベーシックインカムのようになると良いと思います。
田中 深雪より
